第八十六番札所 志度寺
第八十五番札所「八栗寺」から第八十六番札所「志度寺」へ、約7km徒歩約2時間、自動車約20分。)
志度寺の境内は公園のように広く近所の人々の憩いの場になっています。
どっしりとした仁王門をくぐると、室町時代に造られたという曲水式庭園や、弘法大師が植えたと伝わる大クスノキ、また江戸時代の建造物である閻魔堂、奪衣婆堂など。
五重塔は昭和50年に建立されたものだが、讃岐の古刹らしい威厳を見せています。
八十八ヶ所最古の寺「志度寺」
志度寺の歴史は古く、創建は推古天皇の時代(592~628)凡園子尼が志度浦に流れついた霊木で十一面観音を作り安置したと伝わる。
弘仁年間(810~824)に弘法大師が訪れ、霊場としての歴史が始まった。
現在の本堂と仁王門は寛文10年(1670)に、高松藩主・松平頼重公によって造営されたもので、ともに国の重要文化財。
本堂には本尊の十一面観世音菩薩、脇仏の不動明王と毘沙門天。
仁王門の両脇には仏師運慶作の木造金剛力士像が力強く立っています。
清閑な境内に幾年月もの時を織り込んだ名刹。
国内でも珍しい曲水式庭園や海女の玉取り物語の情景を表した無染庭などもあり、訪れる参拝客の姿が絶えません。
海女の玉取り伝説
志度寺境内にウバメガシに覆われひっそりとたたずむ五輪塔は、海女の墓と伝えられています。
その昔、唐に嫁いだ藤原鎌足の息女白光は亡き父の供養物として数々の宝物を兄の藤原不比等に届けようとしました。
ところが、宝物を積んだ船が志度の浦にさしかかったとたん嵐が起こり、中国に二つとなき宝物「面向不背の玉」が龍神に奪われてしまったのです。
不比等はこの玉を取り戻そうと、身分を隠して志度の浦へやってきました。
ここで漁師の娘であった海女と恋に落ちたのです。
「房前」という男の子も授かり親子三人で幸せに暮らしていました。
しかし、不比等が志度の浦に来た理由を知った海女は、愛する夫のために玉を取り戻そうと死を覚悟で竜宮へ潜っていったのです。
海上で待つことしばし。海女の合図で命綱をたぐった不比等の前に現れたのは、見るも無惨な海女の姿でした。
海女は間もなく、不比等に抱かれたまま果ててしまいました。
しかし、玉は海女の命に代えて縦横に切った乳房の中に隠されていたのです。
その後、玉は奈良の興福寺に納められました。
藤原家を継ぎ大臣にまで出世した房前は、やがて志度寺を訪れ千基の石塔を建立。
小堂を大きな堂塔に建て替え、さらに法華八講を修めて亡き母の菩提を弔ったということです。
次の第八十七番札所「長尾寺」までは約7kmの道程です。
補陀洛山 志度寺(ぼだらくさん しどじ)
宗派:真言宗
本尊:十一面観世音菩薩 開基:藤原不比等 創建:推古33年(625) 御詠歌:いざさらば今宵はここに志度の寺祈りの声を耳にふれつつ 真言:おん まか きゃろにきゃ そわか 〒769-2101 香川県さぬき市志度1102 アクセス:高松西インターチェンジから国道11号線をさぬき市(志度)へ。JR志度駅を越え、県道3号線との交差点を左に折れ防波堤の手前に駐車場50台。 TEL:087-894-0086 拝観:境内自由 駐車場:普通車50台無料 宿坊:なし |
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平賀源内記念館
ここ「志度」生まれの偉人として有名なのが、江戸時代に活躍した「平賀源内」です。
讃岐高松藩の足軽身分の家に生まれた源内は、幼少期から異彩を放っていて天神様の掛け軸に細工をして、徳利を傾けると天神様の顔が赤くなる「御神酒天神」をつくったエピソードは有名です。
このようなことが評判となり、13歳から本草学(中国で発達した医薬の学問)や儒学を学び、長崎留学での蘭学、鉱山技術の習得など、多種多様な才能を発揮するようになります。
平賀源内記念館のホームページは、http://hiragagennai.com/
所在地:香川県さぬき市志度587-1 TEL:087-894-1684
入館料「記念館と旧邸と一緒で、一般:500円」
四国八十八カ所地図
1番 霊山寺 | 31番 竹林寺 | 61番 香園寺
お礼参り |