第八十番札所 国分寺
第七十九番札所「天皇寺」から第八十番札所「国分寺」へ、約7km徒歩約2時間、自動車約20分。)
仁王門の前には枝を水平に広げた松の木が植えられており、遍路を出迎えてくれます。
天平13年(741)聖武天皇の勅願で全国に建てられた国分寺のひとつ。
松の大樹が茂る境内には鎌倉時代に再建された本堂や二重棟の大師堂をはじめ、かつて大伽藍をしのばせる旧金堂と七重塔の礎石や、大蛇伝説の残る梵鐘、讃岐国分寺資料館などがあります。
さぬき七福神の弁財天を祀る「国分寺」
仁王門から本堂に伸びる参道沿いは松並木になっており、松の根元には四国八十八ヶ所の本尊を石仏として並べたミニ八十八ヶ所が設けられています。
参道の右側には天平時代の讃岐国分寺の遺構が残されていて、それが七重塔跡、心礎を中心に15個の礎石が残されています。
発掘調査によると讃岐国分寺の寺域は東西220m、南北240m。現在本堂が建つのはかつての講堂跡。
本堂の手前には33個もの大きな礎石が点在しているが、これは天平時代の金堂の跡です。
本堂の西側には堀立建物の跡もあります。
伝説を伝える鐘楼
この寺には四国最古の梵鐘があります。
この梵鐘は古くから音色の良さで名を馳せた、こんな逸話があります。
江戸の初め讃岐藩主・生駒一正公は、この鐘を高松城の鐘にしようと水田と引き換えに手に入れた。
ところが城についた途端に音が鳴らず、おまけに生駒一正も病に倒れてしまった。
一正の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へ帰る」と泣くのです。
そこで結局、鐘は国分寺へ返すことになった。
鐘が国分寺へ戻った途端に悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。
鎌倉時代の本堂
本堂は鎌倉中期の建造物で国の重要文化財に指定。
柱間五間と左右への広がりを見せる正面に、シンプルな和様の組物。
屋根はどっしりとした入母屋造り。繁垂木の軒下など、歴史を重ねてきた建物ならではの美しさがあります。
本尊の十一面千手観音像は行基の作といわれ、本尊は高さ5.2mの立像で、現在本堂に安置されているが秘仏で開帳はされません。
弘仁年間(810〜824)に弘法大師が第八十番札所「国分寺」に定めた。
天正年間(1573~1592)「天正の兵火」で伽藍のほとんどを焼失する。残ったのは本堂と鐘楼です。
本堂の東側に向かうと、納経所と隣接する多宝塔のような建物が大師堂です。
建物の中の遥拝所といった感じで、周囲は遍路用品やお土産物が並べられた売店になっています。
次の第八十一番札所「白峯寺」までは約7kmの道程です。
白牛山 国分寺(はくぎゅうざん こくぶんじ)
宗派:真言宗御室派
本尊:十一面千手観世音菩薩 開基:行基 創建:天平13年(741) 御詠歌:国を分け野山をしのぎ寺々にまいれる人を助けましませ 真言:おん ばさら たらま きりく 〒769-0102 香川県高松市国分寺町国分2065 アクセス:高松西インターチェンジから県道12号線を西へ。つきあたりのT字路を右折し国分寺町役場前を直進。JR高架橋を越え県道33号線との交差点を左折。 TEL:087-874-0033 拝観:境内自由 駐車場:普通車20台無料 宿坊:なし |
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四国八十八カ所地図
1番 霊山寺 | 31番 竹林寺 | 61番 香園寺
お礼参り |