第三十五番札所 清瀧寺
第三十四番札所「種間寺」から第三十五番札所「清瀧寺」へ、約10km(徒歩約3時間、自動車約40分)
土佐市中心部の北側にそびえる青瀧山の山腹、標高140mの付近に建つ清瀧寺。
参道はミカン畑の中の急坂を登と仁王門が現れます。
門の中央に描かれた龍の天井画が見られます。
厄除け祈願の薬師如来像「清瀧寺」
土佐路の中でも難所のひとつに数えられ、一丁ごとに地蔵が置かれているゆえに「八丁坂」や「流汗坂」のような異名の付く急坂の先に「清瀧寺」はあります。
今は道路が整備されていて車で境内まで行く事もできます。
明治23年に土地の画家・久保南窓が描いた龍の天井画(土佐市の有形文化財指定)の山門をくぐると奥に急勾配の石段が続きます。
登りきるとようやく遍路を迎えてくれる高さ15mほどの薬師如来像が建っており、台座の地下には「厄除け戒壇めぐり」が設けられています。
ご真言を唱えながら狭くて真っ暗な階段を一回りすれば厄除けにご利益があると言われています。
薬師如来像の奥、石段を上がったところに本堂と大師堂が並び、本堂は入母屋造で唐破風向拝と千鳥破風を持ち壮観な印象です。
大師堂は唐破風向拝が大きく独特の造りになっています。
また、境内からの眺めは絶景で仁淀川は石鎚山に源を発し、土佐湾に注いでいます。
本堂から納経所へ向かう途中のトイレ屋上が展望所になっています。
寺の由来は弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)修行を行い、満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から滝のように清水が湧き出て鏡のような池になったという。
そこで現在の寺号と院号に改められたと いいます。
真如ゆかりの寺
本堂の手前左手に平城天皇の第三皇子「高岳親王」の墓所があります。
平安時代の嵯峨天皇の第三皇子で、政変によって仏門に入って弘法大師の十大弟子の1人となりました。
清瀧寺には貞観3年(861年)に修行のため訪れる。
その後、真如は遣唐使として留学するも仏教が衰退しつつあった長安では満足できず、仏教誕生の地「インド」を目指しましたが、志半ばで亡くなったと伝えられています。
墓は上人が唐かへ渡る前に自ら建てた逆修塔という一帯は「入らずの森」といわれ、立ち入ることができない聖域となっており揺拝所が設けられています。
次の第三十六番札所「青龍寺」までは約15kmの道程です。
醫王山 清瀧寺(いおうざん きよたきじ)
宗派:真言宗豊山派
本尊:厄除薬師如来 開基:行基菩薩 創建:養老7年(723) 御詠歌:澄む水を汲めば心の清滝寺波の花散る岩の羽衣 真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 〒781-1104 高知県土佐市高岡町丁568-1 アクセス:伊野インターチェンジから国道33号線、県道36号線で土佐市方面へ。仁淀川沿いに約3km走り、バス停宮の西先の四つ角を右折。仁淀川八天大橋を渡り左折。 TEL:088-852-0316 拝観:境内自由 駐車場:普通車20台無料 宿坊:なし |
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四国八十八カ所地図
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お礼参り |